こんにちは、青年。今日も私と一緒にティータイムはいかがですかな?
やぁ、コーチャ。
あれから1週間考えたけどメンターなんて存在は僕には必要そうにない。
そもそもさ、上司にしてもメンターにしても僕には別に会社で誰かに仕事のやり方以外の相談をしたいって思うことがない。だからメンターなんて必要ないと思うんだよね。それよりもっと僕が社会人としてのスキルアップできることを教えてよ。
なるほど、そうでしたか。
まだちょっと順番が早すぎたようですね。
では、今日はもう少し違うお話してみましょうか
タイムパフォーマンスのその先に何を求めるのか
タイパ。
この頃よく耳にするタイムパフォーマンスの略語です。
いかに効率よく限られた時間を過ごすか、投資した時間に対する成果や費やした時間に対する満足度を示す言葉ですね。
Z世代と言われる人達が映画のあらすじを先に知ってから映画を観る、音楽を倍速で聴くなどの新しい時間の使い方にこぞって中高年世代が驚いていたのが印象的です。
私自身も中高年なので正直同じように彼らのその時間の過ごし方に驚きました。
すごい活力だなという印象と、もう自分にはできないという感想です。
自分の興味と、その欲求を満たしてくれる情報に際限がない時代。
知りたいことが止まず、次から次へと湧き出てくる。
そんな環境で育ったZ世代にとっては、タイパは基本スキルの一つで、むしろ限られた時間制約の中で情報収集する若者にとって必須であるとも言える。
ただこのタイパについて、キャリアコンサルタント目線からちょっと心配なところがある。
それは時間のインフレです。
時間のインフレ
そもそも経済学でインフレ(インフレーション)とは、モノの値段が全体的に上がり、お金の価値が下がることです。
例えると今まで1個100円で買えたりんごが1個200円払わないと買えなくなることです。
そして時間インフレとは個人の時間の質が他者の時間の質より安くなり、同じ24時間という枠組みでありながらアウトプットされる時間価値が下がることです。
通貨の場合は財との関係性になりますが、時間の場合は主に個人と他者との関係性でそれが起きます。
今のタイパを求めすぎる人達は個人の時間の質において時間的価値がインフレになりつつあるのではないかと思うのです。
この時間インフレは特に社会に出た時に大きく影響すると考えており、自分が獲得したい経験や力量に対して、真にそれらを獲得する時間が他者より増えてしまう。
中でも経営者やマネージャー、人事部などが身に付けるべきスキルとして注目されているコンセプチャルスキルやヒューマンスキルの部分での影響が気になります。
コンセプチャルスキルとは、知識や情報など複雑な事象を概念化し、抽象的な考えや物事の本質を理解するためのスキルで概念化能力のことを言います。
タイムパフォーマンスの求める先が違う!?
一見、タイパ能力のある人の方が知識や情報など複雑な事象を概念化できるでしょとおもわれます。
しかし今の若手社員の多くとかかわってみると、仕事において得た知識や情報を活用できていません。
インプットは得意でもアウトプットがどうも下手なようです。
それはタイパに求める結果が満足度重視であることが要因ではないかと思います。
一方、社会人が仕事の場において求めるタイパとは生産性向上や投資した時間に対するパフォーマンスです。
似て非なるもの。
満足度が高まらないものは前者のタイパにとっては対象から外れているからです。
その結果、今まで磨いてきたタイパがむしろ仕事の成長を妨げることになりかねない。
つまり、満足度を満たすタイパを重視してインプットする習慣が身に付いていると、時間をかけてアウトプットする必要のあるかかわりや結果が未知な仕事に対してはストレスを感じて避けてしまいたくなる。
または安易に他者の経験でそれを体験したことにしたことでわかったつもりになる。
現に私の周りにも向上心を示す若者が多数います。
話をすると「成長したいです」「やってみたいです」と答えます。
しかし暗に「楽しければですけど」という言葉が前後につきます。
しかし簡単にゴールできる仕事はたいてい満足度が低い、逆にゴールが見えない仕事は過程が未知です。しかも結果がハーピーエンドがバッドエンドかさえわからない。
行動に移せないまま成長の機会を逸しているように見えます。
賢く生きるものは不要なものを排する(林語堂)
大切な時間。
所得と違い、時間は誰もが同じ24時間。
それ以上増やすことができない。誰かにあげることも、もらうこともできない。
だからこそタイパを求めるのでしょう。
私もいかに仕事を効率よくするか、家事を効率よく済ませるかを考えて生きています。
同じです。もっと時間が欲しいと思う。
時間の価値を高めたい!!「もうこれ以上時間を上手にやりくりするのは限界でしょ」と思い悩む。
歳をとるにつれ時間をお金で買えるならと思うことも多くなる。
そうすると余計な仕事、余計なお話、余計なかかわりが邪魔になってくる。
「それ私に関係ないでしょ」ってイライラしながら過ごしたりもする。
でも、ちょっと待て。
その余計と思っている事は本当に余計なの事なのでしょうか?
余計を排除し、効率よく時間を作り出し、そして出来た時間で自分が選択してやっている事はなんですか??
余計だと排除しているものがリアルで、必要として信じ時間を費やしているものがノイズだったりしないでしょうか。
人生に無駄は必要だと思う。
急がば回れ。
無駄と思う小さな仕事、周りとのかかわりの中に楽しく働く、楽しく生きるための大事なものが落ちていると思うのです。
それではまた次のブログで続きはお話したいと思います。